REPORTレポート

代表植村の自伝的記憶

ある起業家の「自伝的記憶」(3)

アーサー・ゲンスラーとの幸運な出会い
 
過去2回では、私が建築プロジェクトマネジメント(建築PM)ビジネスを立ち上げる前段階として、レッドウッドやメラミン化粧板の輸入を手がけていたという話をしました。それぞれのビジネスは会社として生き残るために始めたことでしたが、振り返ってみれば、その時々で構築した人脈やビジネスで持った違和感が、その後の建築PMビジネスにつながっていると思っています。
 
さて、今回はアーサー・ゲンスラー氏との出会いについて振り返ろうと思います。
 
経営にデザインという発想を持ち込んだゲンスラー
 
ゲンスラー氏が創業したゲンスラー社(Gensler)は米国最大の建築設計事務所として知られています(以下、個人としてのゲンスラーは「アート」、会社としてのゲンスラーは「ゲンスラー」と表記します)。現在は世界50カ所の拠点で、6000人を超える専門家を抱えています。
 
実は、カリフォルニア大学バークレー校に通っていたとき、アートは講師の一人で、私は彼の講義を受講する機会に恵まれました。当時のゲンスラーはインテリアデザイン、特に企業のオフィスデザインを主に手がける設計事務所でした。
 
ゲンスラーの優れているところは、企業の生産性向上にデザインという視点を持ち込んだことです。
 
今でこそ当たり前ですが、オフィスのレイアウトや動線を変えることで社員同士のコミュニケーションを活発にしたり、コーポレート・アイデンティティ(CI)をつくり、商品と企業のイメージを一致させたりするなど、ゲンスラーは経営にデザインという発想を持ち込むことで、労働生産性やブランドイメージを高めるという手法を生み出しました。「フォーチュン100」に選ばれるような企業の多くも、その斬新な手法に感銘を受け、こぞってクライアントになりました。
 
バークレー校のときは講師と生徒という関係でしたが、ゲンスラーのビジネスモデルに興味津々の私に、アートはいろいろと目をかけてくれました。日本に戻った後はしばらくご無沙汰でしたが、メラミン化粧板のビジネスから外されて、次のビジネスをどうしようかと思案していたときに、アートのことを思い出しました。「そうだ。ゲンスラーのビジネスを日本でやればいいんじゃないか」。そう思ったんです。
 
そこで、アートに連絡を取り、同様のビジネスを日本でも展開したいので出資してもらえないかと相談しに行くと、驚いたことに、二つ返事で出資を快諾してくれました。しかも、出資だけでなく、役員にまで就任してくれると言います。アートの名前は日本でも知られていましたから、ゲンスラーとの合弁会社には、森ビル(現森トラスト)など日本の大手企業が出資や人材の派遣に応じてくれました。そうしてできたのが、インターナショナル・デザイン・エクスチェンジ(現インデックスコンサルティング)です。1994年のことでした。
 
プロジェクト管理の重要性が腹に落ちた瞬間
 
ゲンスラーとの合弁会社では、本家のゲンスラーと同じくオフィスの内装から手がけました。外資系企業はゲンスラーの存在を知っていますので、私が外資系企業の日本法人に営業して案件を取り、ゲンスラーから出向で来たデザイナーが設計し、日本の内装業者やゼネコンに発注するという形で始まったんです。
 
このビジネスを始めてしばらくすると、建築PMというビジネスの可能性に気がつきました。私は営業担当として顧客の要望や予算を聞いています。一方、ゲンスラーから来ているアメリカ人はデザイナーですから、デザインに新しい意匠や機能を入れようとします。ただ、デザイナーの言う通りにつくれば予算や納期を超過しますので、プロジェクトを管理しなければなりません。ゲンスラーのデザイナーと侃々諤々の議論し、競争入札や分離発注などコストを抑える工夫をする中で、自ずとプロジェクトマネージャーの仕事をやっていたんです。
 
その後、しばらくゲンスラーと一緒に仕事をしましたが、同じ会社でデザインと建築PMを手がけるのは利益相反だと思うようになったので、アートと話し合って会社を分けることにしました。ゲンスラーは改めて日本法人を設立、私はゲンスラーや他の株主の持ち分を買い取り、建築PM専業のインデックスコンサルティングに社名を変えました。
 
建築PM専業にしようと考えたのは、内装のプロジェクトマネジメントを通して建築全体のプロジェクトマネジメントに可能性を感じたからですが、一方で日本の建設業界を変えたいという思いもありました。

「施主の代理として建築業界を変える」

既に書いているように、メラミン化粧板の輸入では日本の非合理な流通構造に直面しました。なぜ安く売れるのに、無駄な商社や問屋を通して高くする必要があるのかという話です。ゲンスラーとの合弁のときも、建設業界の重層下請け構造に疑問を感じました。実際に手を動かすのは職人なのに、さまざまな会社が中間マージンを抜く。それが最終的に、発注者のコスト増につながっているわけです。
 
この構造を変えるには、施主になり、直接発注していく以外にありません。ただ、すべての建築プロジェクトの施主になることはできませんので、施主の代理として建設業界を変えていこう。それが、建築PM専業の会社にしようと思った理由です。
 
もっとも、建築PM専業に本格的に舵を切った2000年代初頭は建築PMという市場もなく、プロジェクトマネージャーも顧客に認知されていない時代です。受注者であるゼネコンや設計会社がプロジェクトマネージャーを名乗り、発注者の代行業務を手がけることもあり、そう簡単には案件を見つけることはできませんでした。ただ、運が良かったのは、時代が建築PMを求め始めていたということです。

ある起業家の「自伝的記憶」(4)」へ続く

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