REPORTレポート

代表植村の自伝的記憶

東日本大震災の復興に関わったプロジェクトマネジャー感じる、能登半島の復旧と復興

能登半島地震が起きて1カ月が経過しようとしています。新年を祝う元日に、このような災害に見舞われた方々の痛苦を思うと、かける言葉もありません。一刻も早く、心の安寧を取り戻していただきたいと、心より願っております。

既に報じられていますが、今回の能登半島地震は海に囲まれた山がちの半島ということもあり、インフラの復旧には時間がかかっています。道路の寸断も深刻ですが、断水が続いていることが避難生活を困難なものにしています。

浄水場や排水菅は至るところで破損していますが、道路が寸断されているため、復旧工事もままなりません。特に、上水の配水管はどこに埋設しているのかというデータがなく、工事は手探り状態のようです。

政府はインフラだけでなく、移動診療車や仮設住宅など生活に必要な復旧を急ピッチで進めていますが、被災した方々が以前のように生活するには、まだまだ時間がかかりそうな情勢です。

私は2011年3月11日の東日本大震災の後、東京大学工学科システム創成学の宮田秀明教授(当時、現名誉教授)や宮田ゼミのメンバー、インデックスの社員とともに、被災地の復興に関わりました。

その詳細は以下のレポートに詳しく書いていますが、政府が進める「環境未来都市」の被災地特区制度を活用し、大船渡市、陸前高田市、住田町の二市一町による気仙広域環境未来都市の特区申請と、低炭素社会にあった持続可能なまちづくりを構想立案から実装段階までサポートすることにしたのです。

最終的に、気仙広域環境未来都市構想は特区に認定され、再生可能エネルギー発電所の建設やコンパクトシティの整備、農業や水産業などの産業振興、気仙材を用いた木造住宅の普及、高齢者に優しい医療・介護・福祉のまちづくりという5つのテーマで結実しました。

その後、2011年12月に私は国土交通省の政策参与に就任し、被災地の復興に政府の立場から参画しました。この時に、国交省は道路インフラの再建にCM (Construction Management) 方式を導入した他、都市再生に関わる都市再生機構(UR)の人材を復旧・復興支援のために派遣するなど、それまでにはない政策を推し進めました。

現に、CM方式の導入は公共工事における発注方式の多様化やPPP (Public Private Partnership) の普及につながりましたし、被災地の復興にURが果たした役割は大きいものがありました(今回の能登半島の復興・復旧での働きも期待されます)。それほど長い期間ではありませんでしたが、政策参与の役割は果たせたのではないかと思っています。
 
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この時の経験を踏まえ、能登半島地震の復興で感じることを今回は書きたいと思います。
 
「元に戻す」ことのリスク
 
プロジェクトマネジャーとして東日本大震災の復興に関わろうと決めた当初、私と宮田教授は地域を元の状態に戻すのではなく、時代に合ったかたちに進化させることが重要だと考えていました。

その当時から、東北地方の太平洋岸は高齢化と人口減少に直面していました。震災によって、人口の減少に拍車がかかることも確実です。そこで、高齢化と人口減少という現実に即したサステイナブルなコンパクトシティをつくり、同様の課題を抱える地方都市のモデルにしていこうと考えたのです。

現に、私たちは陸前高田市に対して、市街地を高台に移し、被災した沿岸部はメガソーラーと日本最大級の定置型蓄電池工場として活用すべきだと提案しました。沿岸部に高い防波堤を建てるよりも、沿岸部は産業用途として活用する方が安全で、費用対効果も高いと考えたからです。

太陽光や風力発電といった再生エネルギーと蓄電池がCO2削減の大きな武器になるということ、そして蓄電池産業が日本の有望な産業になるということは当時から分かっていました。

ところが、市長を含め、地元の方々にとって重要だったのは「元の町に戻す」ということでした。そして、メガソーラー構想をメディアに話して怒りを買った宮田教授は「出禁」になりました。

もちろん、被災した方々の感情として、被災する前の状況に戻したいという切なる願いは痛いほど分かります。地元に根回しせずに、軽々に言うような話ではないのも確かです。

ただ、巨費を投じて元に戻しても、それだけでは高齢化と人口減少にあらがうことはできません。逆に、重たいインフラを整備することで、維持管理コストが自治体の財政を将来的に圧迫していくことは目に見えています。

「あなたたちは東京に帰るからいいでしょうが、私たちは将来のことよりも、明日のことで精一杯なんです」と机を叩いて涙を流す職員を見て、理想論を言うのはもうやめようと思いましたが、13年がたった今、次世代のための復興になったのだろうかという苦い気持ちになります。
 
その時の状況にあわせた復興を
 
未曾有の震災から間もない今言うべきではないのかもしれませんが、放っておくと、能登半島も同じことになると思います。でも、もともとあったマスタープランに則って元の町に戻しても、それは復元であって復興ではありません。

冬のこの時期に、上下水道や道路を完全復旧させるのは現実的ではありません。1日も早い生活インフラの復旧が急務だということを考えれば、下水の復旧については、人口分布を踏まえつつ、合併浄化槽なども組み合わせ、破損した排水菅や下水処理場の復旧を進める必要があるでしょう。破損の激しい上水に関しても、給水車
や最新の水処理装置を設置するといった対策が求められます。

また、公民館や集合住宅などの施設はシステム建築など常設的に設置可能な、工業生産型の建屋の導入も有効です。大阪万博で話題になった「タイプX」のプレハブのイメージです。プレハブと言っても、外装を緑化したり、テントや木材で化粧したりすれば、外観もよく耐久性にも問題がありません。

元のように普通に生活できるようになるまではかなりの時間がかかると思います。その間に、故郷を後にする人も出るでしょう。

能登半島は地域によっては高齢化率が50%を超えており、東北の気仙地方以上に高齢化と集落の孤立化が進んでいます。集落に長年、住んでいる人は動きたくないと思いますが、移住した人が戻ってくる可能性はそれほど高いとは思えません。

であるならば、二段階で復旧・復興を進めるべきだと思います。

例えば、第一段階として公共・社会インフラの復旧の具体的なモデルを政府がパターン化し、能登半島におけるすべての自治体に示した上で、早期の復旧工事を進めていく。

そして、第二段階としては集落の移転を含めた能登半島全体のまちづくりの新しい構想とマスタープランをまとめ、公共投資、民間投資、PPP投資による環境型のローカルスマートシティを目指す。

第一段階の復旧が落ち着いたところで、水道事業でもPPPによる整備を進めるべきだと思います。

今後、南海トラフ地震や首都直下型地震などの巨大地震が懸念されていることを考えれば、こうした自然災害の復旧・復興をてこに、公共・社会インフラの基盤整備にとどまらず、農林水産業や医療福祉などについても、イノベーションを導入し、オペレーションやマネジメントを今の時代にあわせたかたちで最適化していくことが必要です。それが、縮小していく日本に求められる考え方ではないでしょうか。

こうした復旧・復興をてこに社会システムをアップデートしていくというノウハウは、自然災害や戦災が頻発している今、日本がグローバルに貢献できる部分だとも思います。

これが、東日本大震災の復興に関わり、その限界を痛感した私の思いと未来に向けた願いです。

※【掲載の写真について】被災した輪島・朝市の跡地防衛省・自衛隊, CC BY 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/4.0>, via Wikimedia Commons

【2024年2月2日掲載】
※このレポートは2024年1月29日にLinkedInに掲載したものを一部編集したものになります。

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