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「⼈材⼒」を伸ばす国、伸ばせない国

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2009年9⽉
 
1987年に上海から列⾞で1時間の都市、無錫(むしゃく)に3⽇半の間滞在した。この都市の郊外には中国五⼤湖のうちの1つ、太湖があり、観光地でもある。太湖のほとりに、中国の船舶研究中⼼という研究施設がある。その名の通り、中国の  船舶研究の中⼼で、⼤きな実験設備があり、太湖が実験場として使われることもある。
 
当時、30歳代の終わりでデジタル流体⼒学の研究の世界で先頭を⾛っていた私に中国の研究者が注⽬し、集中講義のために私を招いてくれた。「⼀週間でいいから 来てほしい」という依頼を半分の期間にしてもらった。⼤学の研究室のことは助教 授だった私がほとんどすべて仕切っていたから、忙しい⽇々が続いていた。
 
中国⺠航機のエンジントラブルで⾶⾏機が数時間遅れ、夜中に上海に着いた私は、迎えのL教授が他の乗客から調達した切符を持って、無錫⾏きの最終列⾞に乗ろうとしてプラットフォームを歩いていた。その時、後ろからものすごい⾜⾳が聞こ  えてきた。列⾞めがけて中国⼈の乗客たちが猛烈な勢いで⾛ってくるのだ。あわてて脇によけたのだが、⽇本の終戦直後にあったような、全く余裕というものがない  荒々しい社会の⼀部が残っていた。
 
無錫駅には当時唯⼀の国産⾞だった「上海」が待っていた。フォルクスワーゲン  のビートルを真似たような⾞だ。どうも私はVIP待遇されているらしいことに気づ   いた。外国⼈観光客向けのホテルに泊まらされ、3⾷をここの⾷堂で⾷べ、午前と午後の2回、「上海」に乗せられてホテルと研究所の間を往復する。凹凸の未舗装の道をガタガタ揺れながらの約10分の⾏程である。
 
毎⽇講義したのは船⽤の「デジタル流体⼒学」である。私が英語で話して、通訳役の研究員が中国語に訳す。通訳は、⻩⼭という観光地の地名のような名前の若い⻘年である。
 
国を代表する研究者を養成するための⽅法
 
私の⽣徒は、約20⼈の研究員と⼤学院博⼠課程の学⽣たちである。彼らは船舶⼯学を専⾨とする研究員やその卵だから、てっきり船舶⼯学科の出⾝だと思ってい    た。上海には戦前、⽇本が作った東亜同⽂書院が戦後、上海交通⼤学として⽣まれ 変わり、その中に船舶⼯学科がある。江沢⺠前国家主席はこの⼤学の電気機械学部 出⾝だ。以前から東京⼤学の船舶⼯学科と⼀番親しかった中国の⼤学は、上海交通⼤学だった。
 
ところが、中国船舶研究中⼼という中国の最⾼峰の研究所の若⼿研究員たちには、上海交通⼤学出⾝者があまりいないのである。彼らのほとんどは北京⼤学など中国での⼤学ランキングのトップにある⼤学の出⾝者だった。これらの⼤学には船舶⼯学科がないから、出⾝学科は航空学科や応⽤物理学科や数学科だったりする。
 
国を代表するような研究者を養成するために、最⾼級の⼈材を集めているのだ。それなりのインセンティブもあるかもしれないし、番号をつけられている中国の中⼼的な研究所は、⼀番⼈気の⾼い就職先のようだった。

翌1988年にはローマに滞在した。
 
ローマ郊外にあるイタリア船舶研究所の初めての客員教授になり、2週間にわたって集中講義を⾏う仕事を頼まれたのだ。軍と⺠間の両⽅の船舶研究を⾏う国⽴研究  所なのだが、それまでの研究は実験中⼼で、理論的なものがなかった。だから実
際、船舶関係の国際会議に出席するイタリア⼈研究者はごくわずかだった。
 
理論⾯を強化するためにまず⾏ったのは、ローマ⼤学などトップクラスの⼤学から、優秀なドクターコースを出たばかりの若⼿⼈材を採⽤することだった。5⼈の若⼿研究者が集められた。イタリアで船舶⼯学科があるのは、トリエステ⼤学とジェノバ⼤学とナポリ⼤学である。地⽅⼤学にしかないのだ。だから5⼈の出⾝⼤学は船舶⼯学科のある⼤学からではない。みんなローマ⼤学出⾝で、航空学科や応⽤物理  学科や応⽤数学科を出た⼈たちだった。中国のケースと同じなのだ。
 
次に実施したのは、海外から客員教授を招き、新⼈5⼈を中⼼とした研究員の再教育を⾏うことだった。そうして第1号の客員教授に選ばれたのが私だったというわけである。私を選んだのはこの研究所の⼈たちではなかった。ローマ⼤学航空学科のP 教授だった。研究所がP教授に⼈選を依頼したのだった。
 
朝9時から⼣⽅5時まで、毎⽇、講義と密着指導が続いた。⼟曜も休みではなかった。
 
中国もイタリアも、産業界や研究界で注⽬される存在に
 
それから20年あまりの歳⽉が過ぎた。中国は⽇本を追い抜き、韓国に続く第2の造船国になろうとしている。船舶の研究界では、影の薄かったイタリア研究者たちが⼤きな存在感を⽰すようになった。イタリアで開催される国際会議も増えた。
 
若くて優秀な⼈材を育成することが、研究能⼒を⾼めたり、産業を育成するための⼀番の基本であるという⼀例である。
 
翻って⽇本を⾒れば、優秀な⼈材の製造業離れが、じわじわと拡⼤しているようだ。エレクトロニクス関係や情報システム関係へ⼈が向かわなくなったのが最近の⼀番⼤きな変化かもしれない。
 
製造業離れの⼀番⼤きな理由は、苦労や責任や仕事の難しさの割にインセンティブが低いということだ。物づくりが好きだから製造業に向かうという学⽣も決して少なくないのだが、優秀な学⽣ほど製造業から離れていく傾向は否定できない。
 
製造業の⽅々は、もっと⾊々な⼈材採⽤と⼈材育成の⽅法を⼯夫すべきだろう。

「仕事は⼤変だし、給与は少ないけれど、やりがいはあるよ」という⾔い⽅だけではなかなか通⽤しない。
 
⾊々な経営課題の中で、⼈材の採⽤と育成にもっと努⼒すべきではないだろう   か。時代も⼈も変わってきている。従来通りの考え⽅、⽅法は、発想転換して⼤きく変えるべきだろう。
 
⼤学教育に害を及ぼしている就職活動
 
それにしても毎年憂鬱なのが、学⽣たちの就活である。⼤学院の1年⽣はもう8⽉ から会社説明会やインターンシップに⾶びまわっている。卒業の1年半以上前から始まるのである。そして、終わるのは来年の5⽉頃だから、就活は10カ⽉間続く。就活は授業よりも研究室での研究や勉強よりも優先順位が上だから、その間、この学年の学⽣は研究も教育も全く進まない。2年間の⼤学院修⼠課程の期間のうち約半分は就活に費やしてしまっているのだ。
 
こんなにひどい状態なのに、マスコミも問題視していないようだし、経団連の申し合わせは加盟各社が完全に無視しているのに、知らぬ存ぜぬ状態のようだ。⼤学 院の研究教育活動の約40%をスポイルする結果に対して、もっと問題意識を持ってほしい。
 
この2、3年、私の研究室では、4年⽣の卒業論⽂の⽅が、⼤学院⽣の修⼠論⽂よ り優れている例が⽬⽴ち始めた。4年⽣の時、⽴派な卒業論⽂を書いた学⽣が約1年間の就活で変になってしまっているのだ。簡単に⾔えば、要領が良くなり、⼩⼿先 で解決しようとする傾向が強くなってしまうのだ。
 
インターンシップも⽣半可な現場体験なのであまり意味がないかもしれない。もっと真剣な⼤学の研究活動の⽅が得るものが多いはずだ。⾯接やグループ活動や様々な就職活動の内容は、学⽣に要領の良さを教えるだけのように⾒える。⼩⼿先のことで⼈を評価することはできないはずなのに。
 
早すぎて⻑すぎる就活は社会の害になっていると⾔っても過⾔ではないだろう。少なくとも⼤学教育に対しては重⼤な害を及ぼしている。経団連はこれが⼤きな問題であることをまず認識すべきである。
 
⼈材育成は国の最⼤テーマである。
 

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