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戦艦⼤和や零戦は「システム⼯学」の産物

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2008年11⽉
 
戦前の東京⼤学⼯学部船舶⼯学科は、航空学科と並んで⼈気トップの学科だった。船舶⼯学科の学⽣は3年⽣になると成績上位の5⼈ほどが当時の海軍に選抜されて海軍委託学⽣になる。様々な軍艦を設計し、軍事⾯の国際競争⼒を⾼めたのは彼らだった。
 
⼤正時代には、欧州の設計の模倣しかできなかったのに、昭和10年代には様々な艦種で独⾃設計の成果から⾼性能の軍艦が誕⽣し、供⽤されていった。
 
軍艦も⼯業製品である。優れた⼯業製品の裏には、優れた科学技術があるのが普通である。だから、戦艦⼤和を典型例とする優れた艦艇を送り出した裏には、優れた科学技術が1930年代の⽇本にあっただろうと想像するのが⾃然である。
 
しかし、事実は全く違うと⾔っていいだろう。
 
⽇本に優れた科学技術があったわけではない
 
私は29歳の時、東⼤に転職し、船の設計を中⼼的なテーマとする船舶⼯学第⼀講座で仕事を始めた。その頃、研究室が過去に取り組んできた研究の歴史をひも解い て分かったことは、明治20年代の学科開設以来、昭和初期まで、論⽂になるような研究成果は皆無だということだった。
 
ようやくまともな論⽂が現れたのは、昭和12年になってからだった。だから、⽇本における造船関係の研究成果が⽇本の軍艦の設計に役⽴った例はほとんどないのだ。
 
⽇本の軍艦の設計に⽤いられた技術のほとんどは、欧州から輸⼊したり真似をし たりしたものだった。例えば戦艦⼤和の艦⾸の⽔⾯下にある球状の突起である。球 状船⾸と呼ばれていて、今でも商船に採⽤されている。もっとも、今では球状のも のはほとんどない。はるか後の1980年頃の私の研究室の研究によって薄型の⻑く突き出たものに取って代わられた。
 
戦艦⼤和の艦⾸の形の設計は、当時の海軍の技術者がドイツを訪れて、ドイツの設計を真似した結果なのである。当時のドイツの学者バインブルム⽒がこのような形状の効果を論⽂で予⾔し、ドイツの商船設計者が客船に応⽤したことを現地視察などで学び、その類似形を⽬⿊にあった海軍技術研究所でテストを重ね、⼤和級などの軍艦に応⽤したのだ。軍艦だけでなく、航空機の設計でもそのような例が多い。
 
零戦や⼤和に代表されるように、戦前の軍事技術のレベルはかなり⾼い。しかし、それは科学技術のレベルが⾼かったからではないのだ。つまり要素技術⼒は⾼くなかった⼀⽅で、「総合化(シンセシス)⼒」または「システム⼯学の⼒」が⾼かったのだ。
 
軍事技術開発でシンセシス⼒またはシステム⼯学の⼒を⾼めた若い技術者たち

は、1960年代に、新幹線の実現、⾃動⾞産業や造船産業の発展に⾮常に⼤きな貢献をした。NHK「プロジェクトX」の新幹線開発秘話の番組で登場した、当時ご存命  だった3⼈の⽴役者のうち2⼈は船舶⼯学科の出⾝者だ。戦後、軍艦や航空機の製造 が禁⽌された時代に、優れたシステム⼯学の技術者が鉄道技術研究所に集められた ことが⼤きかったようだ。
 
こうして振り返ってみれば、1930年代から1960年代まで⽇本の技術、⽇本の⼯業を引っ張ったのは「システム技術」だったのだ。
 
⽇本に限らない。⽶国もそうだ。1969年に⼈を⽉に送り込んだアポロ計画が典型的な例だ。当時の最も⾼級なコンピューターの主記憶容量は50k程度にすぎなかった。コンピューターというのもおこがましいくらいだ。こんな時代に⽉に⼈を送り込んだのだが、コンピューターが⾶躍的に進歩した現在、⽶国の技術ではアポロ計画を再現することはできない。
 
つまりシステム⼯学の⼒は、当時より劣化してしまったのだ。
 
「要素技術」が隆盛していた時代はそろそろ終わり︖
 
1970年代から始まったのは、半導体を中⼼とする「要素技術」の時代である。半導体、コンピューター、ネットワークの進歩は急速で、世の中を変えてしまった。 そして、今なおコンピューターとネットワークが私たちの⽣活やビジネスを変え続けている。
 
しかし、気がつかなければならないのは、科学技術のテーマがコンピューターやネットワークの進歩から、それを⼟台にしたシステムの進化へと徐々に移っていることだと思う。例えば新しいビジネスモデルで成功したグーグルは、⼗分発達したコンピューターネットワークをフルに活⽤してシステム⼯学的な発想で新しいビジネスモデルを創造したと⾒ることもできる。
 
要素技術が世の中に変⾰をもたらす時代と、システム技術が世の中に変⾰をもたらす時代が、並⾏して進むのが理想かもしれない。しかし、歴史的に⾒れば、技術の進化には循環性があるようだ。
 
1970年頃にシステムの時代が要素技術の時代に変わり、今なお続いているように⾒えるが、実は21世紀になって8年たち、今はシステムの時代へ転換しようとしているのかもしれない。
 
製品開発という⾯で考えれば、エレクトロニクスメーカーにとっては、有機ELの次の要素技術は⾒えないし、⾃動⾞メーカーにとっては、⼀番難しい要素技術である内燃機関の地位は、はるかに単純な電気モーターに脅かされる可能性が⾼まっている。⽇本を代表する産業分野でも、要素技術を中⼼とする技術戦略には転換が求められていると⾔えるだろう。
 
システムの意味するところは広い。軍艦も⾶⾏機も乗⽤⾞もシステムであるし、⽉旅⾏を実現するのも、家庭に太陽光発電や燃料電池や2次電池を導⼊するのも、地域や都市や国全体の環境・資源・エネルギーの問題を解くのもシステム的な課題である。
 
21世紀は再び、「システム⼯学」の時代に
 
21世紀はシステム⼯学の時代であることを、もっと明らかにして共有するべきだろう。環境問題では、例えば太陽電池や⾵⼒発電の普及がキーになるので、それら の要素技術の開発や販売に対する補助やインセンティブを与えればいいという考え
⽅には、システム的な発想が⽋落している。
 
⼀つひとつの要素技術が環境・資源・エネルギー問題を解決する⼤きな⼒になることは誰も否定しない。しかし、要素技術の⼒を何倍にも⾼めるためにはシステム思考が⽋かせないだろう。個々の家屋のエネルギーシステムから都市や国のエネルギーシステムまでをどのように設計するかという問題としてとらえるのである。
 
あまりいい例ではないかもしれないが、第2次世界⼤戦時の軍艦の中で戦闘⼒が⾼かったのは、要素技術が⾼い国の製品よりシステム⼒の⾼い国の製品だった。
 
システム技術⼒の重要性を認識し、資源を集中すべき時代だろう。⾦融危機にしても⾦融商品に対するシステム技術⼒が低いままに、商品のグローバル化、複雑化を進めてしまったのが原因と⾔うこともできるだろう。

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