REPORTレポート
リサーチ&インサイト
古い社会システムが不正や退化を招く愚
TAG
2008年10⽉
今年6⽉、東京⼤学で「⼆次電池による社会システム・イノベーション」という研究会を発⾜させた。反響は⼤変⼤きかった。これから短い時間軸で展開していかな ければならない。
その取りまとめ役を務めているおかげで、個⼈的にも週末に愛⾞R34スカイライ ン・ターボ⾞を運転することに後ろめたさみたいなものを感じるようになった。か つて船の世界では省エネに貢献する⼤きな開発を成功させ、そのおかげで毎年1000 億円もの燃料費が節減されるようになったので、⾃分で勝⼿にこの⾞の燃費の悪さ は海の世界で相殺してもらっていると思うようにしていた。しかし、最近はなるべ くターボを利かせない燃費重視の運転をすることが多くなったし、気分転換に東筑 波スカイラインに⾛りに⾏く回数も減った。
環境問題を解決するためには、⼀⼈ひとりの意識改⾰が⼤切だし、環境サミットで議論された⽬標設定も⼤切だ。しかし、これだけで⽬的が達成されることはないだろう。⽬標達成のためには“社会システム設計”が⽋かせない。
それぞれの分野ごとに、⽬標を確実に達成できるような社会システムを設計しなくてはならないのだ。
様々なセクターごとに、⽬標を設定し、それを達成するための社会システムを設 計しなければならない。まず、交通輸送を取り上げ、さらに⾃家⽤⾞の分野に対し ては、10年後に40%のCO2(⼆酸化炭素)削減を達成することが、国全体の⽬標達成に必要だと仮定しよう。
10年後に40%のCO2削減を達成するための⾞社会システムとは
この⽬標を、ハイブリッド⾞を⼀部使いながら、電気⾃動⾞を中⼼的な技術として普及させるというシナリオによって実現するとしたならば、そのための社会システムを設計しなければならないのだ。これは⺠⽣部⾨なので難易度はそう⾼くない。
例えば電気⾃動⾞の普及率が20%になり、同時に内燃機関を⽤いる⾞の平均燃費を20%下げることによって⽬標が達成されるという⾒積もりができたら、そのような⾞社会システムへ誘導するためのインセンティブシステムと税システムを設計す ればいいのだ。燃費性能に反⽐例するような⾃動⾞税と、同時にガソリン税に環境 税を付加して値上げし、これで得られる原資を電気⾃動⾞への補助⾦と給電スタン ドなどの電気⾃動⾞のためのインフラ整備に使う制度を設計するのだ。
新たな環境投資と税率をどのような規模にすれば⽬標を達成することができるかは難しい問題だ。欧州諸国のように内燃機関を使う乗⽤⾞に対する税⾦を⾞輌価格 と同じくらいのレベルにし、それからあがった収⼊で電気⾃動⾞のインセンティブ とインフラ整備を⾏えば、⾞社会システムは⼤きく変化するだろう。もっと極端に、内燃機関は最悪だとまで意識が⾼まったとすれば、欧州の多くの国のタバコの ように税抜き価格の4〜5倍の税⾦を課すことも制度的には不可能ではない。こうすれば⽬標ははるかに早く達成されるだろう。
これは⺠⽣部⾨の⾞社会システムを⾏政主導で改⾰するための設計である。市⺠のコンセンサスを作ることが⼤切だし、あまり急激な変化を市⺠に強制すると社会主義国のようになってしまう。変化のスピードを調整することは⼤切だ。
しかし、理論的には税とインセンティブによる社会システムによって⾞社会システムのイノベーションを実現することが可能である。もし毎年、または四半期ごとに成果をウォッチして、税とインセンティブをフレキシブルに調整することができれば、変化の速度を調整しながら確実に⽬標を達成することができるだろう。
教育委員会制度という古い社会システム
⺠⽣部⾨よりも、産業部⾨の⽅が問題は複雑で難しい。産業部⾨でこのようなことをすれば、国際競争⼒を弱めてしまい、国の衰退につながるからだ。だから国際協調しながら前進させる努⼒が続けられている。しかし、難易度の問題があるにしろ、技術を活⽤した“社会システム設計”という考え⽅が⼤切だろう。産業もいろいろな形で社会システムを担っているからだ。
環境問題に限らない。あらゆる分野で⽇本の“社会システム”を設計し直すことが求められていると思う。例えば、初中等教育のための“社会システム”である。
⼤分県の教員⼈事に関する不正事件が⼤分県だけのことと思っている⼈は少ないのではないか。全国のほとんどの都道府県で、何⼗年もの⻑期にわたって⾏われていたのではないかと疑っている⼈は多いと思う。教員になるためには狭き⾨を通らなければならないはずなのに、教員の⼦弟にとっては⽐較的広い道が⽤意されているのではないかという疑いを持っているのだ。
ほんの少し前に教育⾏政の中央集権か地⽅分権かという議論があった。この時の議論は核⼼を外していた。初中等教育の経営の要所である⼈事に関しては、都道府県ごとの教員からの出向者とその仲間の⾏政職で構成される教育委員会に任されてきた。都道府県ごとに作られた教員ムラが、ムラの教員の⼈事を⽀配するような構造になっているのだ。この構造的な問題点をもっと議論すべきだった。
この問題は、とりあえず綱紀を粛正して、情報を公開するようにすれば解決するという性格の問題ではない。教員の育成と任⽤を⾏う新しい“社会システム”を設計し、適⽤しなければ本当の解決にはならない。ある職種の⼈々が作るある社会システムが閉鎖的または⾃⼰完結的になっている時は、機能不全になる可能性が⾼い。閉鎖的な社会システムは腐敗しやすいのだ。
だから、教育の任⽤を決定するための新しいシステムの設計を⾏うのがよいだろう。
このためには最近の企業経営システムを参考にするといいだろう。つまり取締役会と執⾏委員会を完全に分離するのだ。主要⼈事案件の決定は取締役会が⾏い、実務は執⾏委員会が⾏い、両社は独⽴して機能するようにする。取締役に、教員出⾝者がいてもいいが、半数を超えないようにする。
教育委員会制度も本来はこのように設計されていたのだと思う。教育の現場と⾏ 政の現場から離れた第三者が教育⼈事という最も⼤切な部分を担当する“社会システム”の中枢部分として設計されたと考えられる。しかし⻑い年⽉のうちに、⼈事が内部循環的になり、本来の機能を失ってしまったのだろう。
こういう時は教員の評価と任⽤の新しい“教育社会システム”を設計し直すことが必要だ。
古い設計のシステムは陳腐化したり、システム疲労して退化する
初中等教育だけでなく⾼等教育でも同じことが⾔える。国際競争⼒が低下した⽇本の⼤学を盛り返すためには、各⼤学の奮起を促しただけでは効果は出ない。⼤学の経営システムを改⾰しなければならない。多くの国⽴⼤学で、地⽅の教育委員会に相当するのが教授会である。教授というムラの仲間がムラの仲間を評価し、新しい村⼈の採⽤に全権限を持つシステムは、初中等教育における教育委員会制度にも劣るかもしれない。
経営者である学⻑が教員の⼈気投票で決まる仕組みも経営的には最悪に近い。労働組合員が全員投票で社⻑を選出するようなものだから、もし⺠間企業でこれを⾏ったら早々に倒産することだろう。
国⽴⼤学でも⺠間企業の経営⼿法を取り⼊れるべきだろう。執⾏役員は教員から選ばれるのでいいだろうが、取締役は全く別の形で専任されるシステムにすべきだろう。そして教員出⾝の取締役は半数以下にすべきだろう。つまり社外取締役を半数以上にするのだ。そして執⾏役員に相当する各学部⻑の任命権は教員ではなく取締役会が持つ。
初中等か⾼等かを問わず、教育にも正しい“社会システム”の設計が必要だ。
古い設計のシステムは陳腐化したり、システム疲労して退化していくことが⾃然の理であることも理解したい。“社会システム再設計”は最初の設計から⼀定時間がたったら、必ず定期的に⾏わなければならない経営課題にほかならない。公的部⾨でも⺠間部⾨でも例外はないと思う。成⻑して業績を拡⼤している企業でも同じである。それぞれのステージに合った企業システムを設計し直すことが⼤切だ。
社会システムの設計⼒を⾼めたい。
WRITERレポート執筆者
-
宮田 秀明
社外取締役
プロジェクトマネージャの先駆者、企業リーダー育成の第一人者であり、東京大学教授時代には様々な社会変革のプロジェクトを実行し、2011年に日本学士院賞、恩賜賞をそれぞれ受賞。その後同大学名誉教授に就任し、ビックデータ解析のスペシャリストとして学術的にもトップクラスを走る。東日本大震災を受け植村と共に気仙広域環境未来都市のプロジェクトマネージャに就任。インデックスコンサルティングの先導性に理解を示し、2017年から同社に参画。
その他のレポート|カテゴリから探す