REPORTレポート
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「M.YAMANO TOWER」が実現できたワケ
インデックスコンサルティングが建築プロジェクトマネジメント(CPM)を事業の柱に据えた2000年代初頭、日本にはCPMの存在や役割が全くと言っていいほど認知されていませんでした。その中で、無名だった当社を信頼し、仕事を任せてくれた先進的なクライアントがいたからこそ、インデックスコンサルティングは事業を拡大し、CPMのパイオニアとして評価されるまでになりました。
今回のクライアントインタビューでは、美容専門学校大手の学校法人山野学苑の中川巧スタンリー理事に登場いただきました。中川理事は山野正義理事長とともに、2007年に東京・代々木に竣工した超高層タワービル「M.YAMANO TOWER」の建設プロジェクトを主導、日本では珍しかったCPMの採用を決めました。なぜCPMの採用を決めたのか、そしてCPMの採用でどのようなベネフィットを得たのか。当時を振り返ってもらいました。
──山野学苑は2002年に東京・代々木にあった校舎の建て替えを決断しました。中川理事はプロジェクトの責任者として建て替え計画を主導しました。なぜ建て替えを決めたのでしょうか?
中川巧スタンリー氏(以下、スタン):最大の理由は耐震性です。山野学苑は代々木周辺に11棟のビルを所有していました。ただ、1930年代に建てられた物件があるなど、1985年に建てられた物件を除き、ほとんどの物件が十分な耐震性を備えていませんでした。仮に大地震が起きれば、大きな被害を受ける可能性があります。
山野学苑に加わる前、私は建物の構造エンジニアでしたから、建物の耐震性に強い危機感を持っていました。校舎で学んでいる学生や教師、スタッフなどの安全や幸せを考えると、一刻も早く立て替える必要があります。そこで、理事長の許可を得て、建て替えプロジェクトを立ち上げました。
──プロジェクトが始まった2002年当時、日本でCPMはそれほど一般的ではありませんでした。なぜCPMを採用しようと思ったのでしょうか?
スタン:日本とは異なり、米国ではCPMの採用は一般的です。実際、構造エンジニアとして、私は米国で数多くのビル建設プロジェクトに関わってきましたが、その大半のプロジェクトででCPMがいました。発注者は建設のプロというわけではありませんから、バイアスのない客観的な情報を得るため、CPMの情報や判断を重視していました。
そういうカルチャーの中にいましたから、校舎の建て替えを決めた時、すぐにCPMを探しました。実は、インデックス以外にもう1社候補がいたのですが、インデックスはCPMの役割をはっきりと理解しており、米国で経験したCPMにとても近かった。米国の事情にも精通しているので、コミュニケーションや仕事の進め方という面でも違和感がありませんでした。
実際のプロジェクトでは、山野学苑が採用した米国の建築課や構造エンジニア、景観設計の専門家などのチームが作った仕様書をベースに、建築費などのコストなどを調べた報告書を作ってもらいました。ゼネコンと交渉する際に、この報告書はとても役に立ちました。かなりのコスト削減につながったと思います。
──建て替え計画は順調に進んだのでしょうか?
スタン:プロジェクトではいくつかの課題に直面しました。最も大変だったのは近隣対策です。
私たちは床面積1万坪、高さ100メートルのタワービルを建てる予定でした。ただ、近隣住民の中には大規模なビルの建設を望まない方もいました。代々木という地元あっての山野学苑ですから、近隣住民の反対を聞いた時は幹部の誰もがプロジェクトは不可能だと落胆しました。ところが、植村社長と彼のチームは反対していた方と粘り強く交渉し、最終的に建て替え計画に同意いただくことができました。これは本当に助かりました。
もう一つは、もともとの敷地の形状と接道率のため、建て替えても現状の校舎と同じ5000坪の建物しか建てることができないという問題です。
私たちは校舎で使う5000坪の床面積の他に、少子化で学生が減ることを想定し、補完的な収入源を作り出すために1万坪のスペースが必要だと考えていました。残りの5000坪を賃貸に回せば、学費収入が減った場合のリスクヘッジになりますし、トータルの建設コストを抑えることができるでしょう。でも、建て替えても同じスペースにしかならないのであれば、その計画も絵に描いた餅です。
この時に、植村さんのチームがある提案をしてくれました。校舎の横の住宅を取得し、敷地面積を広げるという提案です。そうすると、接道率が上がり、総合設計制度を利用することができます。総合設計制度を活用すれば、容積率が上がり、今よりも高い建物を建てることができます。
そんなことが可能なのかと思いましたが、植村さんは責任を持って交渉すると言う。そして、実際に交渉をまとめてくれました。彼らは見事に私たちの課題を解決してくれたのです。本当に、インデックスからは多くのことを学びました。
──M.YAMANO TOWERの上層階は賃貸マンションになりました。
スタン:残りの5000坪をどうするかということを考える過程では、オフィスやオフィスとアパートのミックス、小さなブティックホテルなど数多くの提案がありました。その中で、最終的に賃貸マンションにしましたが、これは大正解でした。
──予算は想定通りに収まったのでしょうか?
スタン:実は、少し予算をオーバーしましたが、これは建設中にデザインを変更したからです。それを除けば、インデックスがゼネコンとハードに交渉し、コストをリーズナブルなレベルで抑えてくれたので、元の予算に近いところで収まりました。
ビルは2007年4月9日に完成しました。利用可能な床面積は、私たちの希望通り1万坪を確保できました。高さは100メートルにわずかに届きませんでしたが、小田急線の線路に沿ってガラスのファサードもできました。すべて私たちの希望通りです。
その後、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。校舎を建て替えていなければ、多くの建物がひどい被害を受けたでしょう。耐震性を考えれば、最悪、崩落していたかもしれません。その意味でも、無事に建て替えることができて感謝しています。
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