REPORTレポート
リサーチ&インサイト
モデルから変⾰すべき⽇本⼈の英語教育
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2009年7⽉
海の仕事が中⼼だった頃には英語を使うことも多かったのだが、企業経営や⼩売流通、環境経営などに主軸を移したので、海外へ出向くことも英語を使うことも、めっきり減ってしまった。
きっと私の英語⼒は退化していることだろう。海の仕事をしていた時代は、少年時代の英語の学習に感謝することが多かった。
中学3年から⾼校1年までの2年間、英語の習得に集中した。友⼈の⺟の誘いに乗 って、1年半ほど英会話を習うことにした。⽣徒は3⼈だけで、1回につき1時間半で週2回、ドイツ系アメリカ⼈で⽇本語がほとんど話せないローズマリーさんに教わった。彼⼥は⽶国で⽇本⼈宣教師と結婚し、⽇本勤務になった夫とともに来⽇していた。
このローズマリーさんに教わったおかげで、英会話の基本をしっかり学ぶことができた。彼⼥は⽇本の地⽅都市、私の故郷である松⼭市に滞在していたのだが、⼦供たちの⽶国籍取得問題があり、1年半ほどで⽶国へ戻ってしまった。
単語の最初に使われるYやWの発⾳も徹底的に教えられた。両⽅とも、⼒強く発⾳しなければ、その単語が伝わらない難しいアルファベットなのだ。
2年間集中して勉強できたおかげで英語で困らなかった
本当は奥様のローズマリーさんではなくご主⼈の⽇本⼈に教えてもらう予定だったのに、彼は多忙で、全く⽇本語のできない奥様が教えてくれたのだが、たまにご主⼈が登場した。
彼は私に、英会話のフレーズを話させて⾔った。
「いいですね。イントネーションがいい。それ⽇本語で⾔ってみて」私が⽇本語を話した後で彼は⾔った。
「やっぱり⽇本語の⽅がうまいね」
⼈を褒めて育てる術も⼼得ていたのだ。
並⾏して⾏ったのは、単語を覚えることだった。旺⽂社の「⾖単」を使って、1年半に少なくとも6000語を覚えることにした。毎⽇20語を覚えるのだ。単語だけで なく、⽂章も覚えた。⽂法の教科書には典型的な⽂章、つまり例⽂が記されている。⽂法を知るよりむしろ例⽂を覚えることに徹した。さらに、休暇中には英語の⼩説やエッセイを読むことにした。
⼀⾔で⾔えば、私の英語学習は、覚えることに集中したのだ。それが語学の勉強の王道だと思う。
中学3年⽣の時の英語担当の先⽣は東京外国語⼤学卒のシャレたT先⽣だった。⼩柄な⽅だったが威厳があった。彼の英語教育法も、基本は覚えることだった。英語 の教科書の⽂章をページごと丸暗記させるような教育を⾏っていた。
ローズマリー先⽣と中学のT先⽣にはいくら感謝しても⾜りないくらいだ。2⼈の おかげで、中学から⾼校にかけての2年間で英語⼒の基本を備えることができたからだ。⼤学受験の時も英語の勉強はほとんどしなくてよかった。
社会⼈になってからも、ビジネスの現場、つまり外国⼈オーナーとの折衝や建造した船の試運転で外国⼈の船⻑さんたちに説明する場でも困ることはなかった。⼤学の助教授になって国際会議の発表や、海外に招かれた時の集中講義でも、ほとんど何の⽀障もなかった。それでも英国⼈や豪州⼈の話す英語が聞き取れなかったりすることもあったのだが、多くの場合は「いい英語を話すね」と⾔われることが多かった。
英⽂学と英語学を混同している語学教育システム
社会⼈になって初めて仕事の中で英語が必要になることを肌⾝で感じた時のプレッシャーは⼤きい。研究者になって初めての国際会議で発表し討論する時に英語⼒がハンディキャップになっているケースも多い。
私の場合は、語学教育で得をしたケースだ。本当にラッキーだったと思う。こんな例を増やすのは難しいだろうが、すべての⽇本の若い⼈たちがもっと正しい英語教育を受けられるようにすべきだろう。そのためには中⾼の教員の質の向上がキーになると思う。
⽇本では、中⾼の6年間、英語教育が⾏われている。それなのに、英語をきちんと話したり書いたりできる⽇本⼈はそう多くない。⼤学の英⽂科を卒業したのに英語 を話せない⽇本⼈も多いし、社会に出てから英語で苦労しているビジネスマンも多い。
中⾼6年間の英語教育には問題が多いと思う。6年間も教育して、それでも英語が使えない事態は外国⼈から⾒ると奇異に⾒える。中国⼈が英語や⽇本語を勉強する 時も2年間ほど週9時間ぐらいを使うのが普通だ。2年間英語を勉強して、⽇本⼈よ りはるかに上⼿な英語を話す中国⼈は多い。
⽇本では中⾼で6年間勉強して、さらに⼤学でも語学教育があるのだが、⼤学で は、⽂学と語学を混同するような語学教育システムがある。多くの場合、⽂学部出⾝者が語学教育を担当することが既得権益のようになっていて、語学の授業で、シェイクスピア⽂学の話をしたりする。
だから、学⽣が⾃分で努⼒しない限り、⼤学の教養課程で英語⼒が進歩することはあまりないのが実情だ。その結果、⼤学卒業時点で英語をきちんと話せる⼈の割合は低いままになってしまう。
⽇本⼈の語学⼒が低いことによる損失は莫⼤なはずだ。社会に出てから英会話を習わなければならないコストだけでもバカにならない。
中⾼における英語教育のためには教員の採⽤から⾒直さなければならない。⽂学の専⾨家ではなく語学教育の専⾨家を教員に採⽤するようにすべきだろう。
効率的な英語教育モデルを作ることを⽬指す
教員の質の向上による教育改⾰は⾄って経営的なテーマである。経営ではソリューションの部分とモデルの部分を⼀体化した改⾰を⾏わなければならない。例えば、英語の話せる教員を採⽤する、または今の教員を英語の話せる教員にするというソリューションを実現するために、教育委員会というモデルの変⾰は避けて通れない。⼈事の実⾏は教育委員会に委ねられているからだ。
教育委員会に対して、地⽅分権か中央の監督強化かという議論はモデルの議論だが、どちらのモデルが具体的な正しいソリューションを実現するかという議論と連結していなければ意味がない。英語のできる教員に教育させるといった現実の問題をソリューションとして解決できる教育委員会モデルを作るのが今の緊急の課題なのである。
⺠間企業なら、初めにモデルありきの議論をするのではなく、⼤きな成果が得られるモデルはどのようなものかを議論しモデルを選ぶだろう。モデルとソリューションをつなぐことには構想⼒が必要で、難しいことだが、先にモデルや仕組みや制度があるわけではない、成果の得られるモデルに変えるのだ。これが経営である。
国際⽐較をするとはっきり分かる効率の悪い英語教育を変えるためには、⼩学校から英語教育をするのが正しい⽅策ではないだろう。効率的な英語教育モデルを作って実⾏しなければならない。
WRITERレポート執筆者
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宮田 秀明
社外取締役
プロジェクトマネージャの先駆者、企業リーダー育成の第一人者であり、東京大学教授時代には様々な社会変革のプロジェクトを実行し、2011年に日本学士院賞、恩賜賞をそれぞれ受賞。その後同大学名誉教授に就任し、ビックデータ解析のスペシャリストとして学術的にもトップクラスを走る。東日本大震災を受け植村と共に気仙広域環境未来都市のプロジェクトマネージャに就任。インデックスコンサルティングの先導性に理解を示し、2017年から同社に参画。
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