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技術は劣化する

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2009年5⽉
 
私は1⼈で声に出してしまった。
「ひどい︕ 最悪の設計だ」
 
軍艦や商船のマニア向け雑誌「世界の艦船」の表紙を⾒た時のこと。⽶海軍の最 新鋭の3000トンの沿海域戦闘艦が全⼒で航⾛している写真が載っている。ひどいのはこの最新鋭の軍艦の作っている波だ。
 
船の波は主に⼀番先端の船⾸と⼀番後ろの船尾から出る。この船の作る波がひどいのだ。船⾸からの波も悪いのだが、船尾からの波は許しがたいくらいだ。船は波を作るが、その波を発⽣させるために⾺⼒が要る。波を発⽣させなくするよう船の形を最適にしていく技術は「船型学」と⾔う。
 
優秀な⼈材が集まらない分野の技術が劣化
 
「船型学」の研究の⼤本⼭のようなのが私たちの研究室だ。その研究で、私の3代前の教授は⽂化勲章をもらい、2代前の教授は⽂化功労者になった。私も29歳の時  にこの研究室のメンバーになって以来、船の波と船の形の関係の研究を続けてきた。

船型学は30年も続けてきたので、研究の世界でかなり上りつめたのだが、その⼀⽅で、船の形を設計するエキスパートになった。だからアメリカズカップの仕事も引き受けたし、最近ではスーパーエコシップという電気推進の内航船の設計を指導し、波を作ることによる抵抗(造波抵抗)を60%減らすことにも成功した。
 
この「世界の艦船」のページを開いてみると、⽶海軍の沿海域戦闘艦の建造中の写真がたくさんあった。どこの設計が悪いのか⼀⽬瞭然に分かった。明らかに設計 のレベルが低い。私が代わりに設計したとしたら、すぐにエンジンの⾺⼒を20%減らせそうなくらいだ。
 
⽶国では商船を建造するビジネスはほとんどないが、プレジャーボートや軍艦を製造するビジネスは世界トップの規模にあった。だから、⽶マサチューセッツ⼯科⼤学(MIT)やカリフォルニア⼤学バークレー校などには造船関係の学科があって優秀な学⽣が集まり、造船造艦の世界へ巣⽴っていった。
 
ところが、ソ連崩壊の前後から、このような学科がリストラされていき、優秀な⼈材がこの世界へ向かわなくなっていった。そうして、この分野の技術⼒が急速に劣化した。この流れはますます加速し、冒頭のような、ひどい設計をしてしまうだけでなく、誰もその設計の悪ささえ分からなくなってしまったのだ。
 
軍艦の設計という軍事研究のお⼿伝いをすることは私たち東⼤教員には許されてなかったし、私⾃⾝もやりたい仕事ではない。しかし、⼀⽅では軍事⽤も⺠⽣⽤も技術は共通の部分が多い。だから船の設計や技術開発の先端にいた私は⽶海軍の研究関係の⽅々と話し合う機会も多かった。⽶海軍研究局(Office of Naval Research)のトップの⽅が私に会いに来たことがあった。彼は軍⽤機で横⽥基地に来て、ヘリコプターで六本⽊の⽶軍オフィスに来て、⾞で私の所へ来る。パスポートを持ってなくても来⽇できるようなルートだ。
 
ワシントン郊外のメリーランド州ベセスダに海軍の研究所がある。この研究所のP 部⻑との関係は⼤学院卒業直後から続いていた。彼が突然私に電話をかけてきたの  は1996年のことだ。
 
「来週⽊曜⽇にシーリフト計画の重要な会議がワシントンDCである。何とか来れないか。君の⾼速船の設計を説明してほしい」
 
⽶軍は、双胴型の⾼速船の技術に関⼼を持った
 
⽶国は1990年代の後半から「シーリフト(⾼速軍⽤海上輸送)計画」を⽴案していた。世界中に展開している⽶国の駐留軍は、いずれ撤退することになるだろう。  その時、世界中のどこかで新たな紛争が発⽣した時、2週間以内に⼤規模な戦闘⼒を展開できる能⼒を確保したいという計画である。世界中のどの地域にでも戦闘⼒を  展開したいのだが、航空機は輸送能⼒が低過ぎるので、⾼速船に頼るしかないのだ。
 
私が⽇本のある企業と共同で開発した双胴型の⾼速船の技術がこのプロジェクトにふさわしいとして⽶国海軍が注⽬してくれたのだ。だが、私は時間的な問題と、東⼤の職員という⽴場があったので、⽶軍の⼿伝いをすることはできなかった。
 
⽶海軍は、国内の優秀な技術者が他分野に向かったおかげで、この時にはすでに新型艦艇の開発能⼒を失い、⽇本の技術に頼ろうとしたのだが、結局それはうまくいかなかった。私の代わりに折衝した⽇本の造船企業の取った⾏動も良くなかった。
 
それから数年たって⽶海軍が取った⽅法は、オーストラリアの設計技術と国内の技術に頼ることだった。そうして試作されたのが2つの沿海域戦闘艦である。1つは三胴型でオーストラリア企業に設計を委託し、もう1つは⽶国内の企業に担当させ  た。後者が冒頭の、激しい波を発⽣させる最悪の船だった。
 
技術は劣化する。このことを知るのは、技術開発に⼈⽣をかけてきた私たち技術者にとってつらい現実である。⼀⽣懸命⽀えてきた技術の分野が劣化していくのを⽬の前にして、何もできないのだ。
 
40年前に⼈類は⽉に到達した。アポロ11号の偉業である。コンピューターの主記憶容量がわずか50Kの時の偉業である。それから40年、科学技術は⼤きな進歩をし てきたはずなのに、⼀⽅では技術の劣化も進⾏させていた。そして今、⼈類を⽉へ 送り込むことはできなくなっているのだ。
 
技術を進歩させたり、技術⾰新を実現したりすることは難しい。しかし、技術を劣化させることは簡単なことなのだ。
 
まず創造する能⼒のある⼈材を育てよ
 
技術の劣化は⼈材の劣化とともに進⾏する。⽶国で有⼒⼤学が船舶⼯学科を廃⽌ したのは20年ぐらい前のこと。⽇本でも同じ流れが10年ほど前から進⾏した。⼤学が悪いというわけではないだろう。その産業の経営状態が悪く、若者がその産業を
⽬指さなくなるのだ。
 
結果としてその産業と深い関係のある⼯学系の学科は不⼈気学科となって定員割れし、リストラの対象になってしまう。これが典型的なシナリオである。
 
船の設計技術だけではない。あちらこちらで技術の劣化が進⾏していると⾔えるだろう。産業界と⼤学が話し合うべき最⼤のテーマは、創造する能⼒のある⼈材を育てることと技術の劣化を防ぐ戦略だと思う。
 
ある⾃動⾞会社の経営者が東⼤キャンパスを歩きながらつぶやいた。「なんで⽇本には⾃動⾞学科がないんでしょうね。50兆円産業なんですが、ドイツにはありますね」。
 
産学連携は古くて新しい⾔葉だ。もっともっと本質に⽴ち返って産学連携を考えなければならない。
 

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