REPORTレポート
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縮みゆく⼤学経営
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2009年4⽉
私は仕事を断るのが不得⼿だ。だから、つい難しい仕事を引き受けて⾃分を忙しくして、時間的な余裕のない⼈⽣にしてしまっている。
この時もそうだった。
国⽴⼤学が法⼈化を控えた1年と1カ⽉前、⼯学部⻑のO先⽣に頼まれた。
「法⼈化に向けて全学的な制度設計をしなければならないようだ。テーマは知財 管理、利益相反、産学連携ということになっている。この3つをまとめる座⻑を最⼤部局である法学部、経済学部、⼯学部から出さなければいけないことになった。⼯ 学部には知財管理が割り振られている。お願いできないですか」
私は知財にそれほど明るいわけではなかった。⼤学全体をまとめるマネジメント の⼒を期待されたのだ。それから13カ⽉にわたって25回ほどの会議の末に知財ポリシーと知財ルールを定めた。⽶国の「バイ・ドール法」にならって知財を機関帰属 することに定めたのだ。
全部局の合意を得ることにも苦労したが、それより⼤変だったのは、この知財ルールでマネジメントできるようにすることだった。すべての発明について機関帰属を前提に⼤学が出願すれば、膨⼤な予算を必要とするかもしれない。そのため、ある程度の選別をシステム的に組み込む必要がある。
⼀⽅では、知財には⼀種の営業活動が必要となる。知財が社会貢献し利益を⽣み出すためには営業活動が⽋かせない。しかし、⼤学の予算も⼈員も限られているし、⼤きな営業⼒は期待できない。このことを解決するための⼯夫作りに、労⼒と知恵が必要とされた。
この作業を⽀えてくれたのは⺠間企業から特任教員として派遣されてきた⽅々だった。最終的には同じような⽴場で東京⼤学に協⼒してくださった弁護⼠や弁理⼠の⽅々にもお世話になった。こうして何とか法⼈化前に作業を終えることができ た。
社会に開かれた⼤学を⽬指したものの…
3つのテーマのうち「利益相反」の委員会の成案には感⼼した。法学部のI教授が主査だった。べからず集を作らないでセーフ・ハーバー・ルールとして定めたの だ。いろいろな事例に対して安全に守れる例と守れない例、つまり利益相反例につ いて1件1件判定し、過剰な規制によって産学連携活動を萎縮させないようにしようという精神で作られていた。
こうして、独⽴した法⼈として東京⼤学がもっと社会に開かれた⼤学として再出発する準備が、ギリギリのタイミングで整えられたのだ。
それから5年の歳⽉が流れた。当初は産学連携本部が強化されたり、技術移転会社が設⽴されたり、投資会社が設⽴されたりして、社会へ開かれた⼤学への歩みが確 実に進んでいるように思えた。ところが最近、内部から⽴ち上がる⾵のような逆流 が⽬⽴ってきている。
1995年に国⽴⼤学の教員が⺠間企業のために兼業することを許されたのは、産学連携や教員の成⻑、教員の社会貢献のためだ。95年に⽴ち上がった株式会社ニッポ ン・チャレンジ・アメリカズカップの仕事を兼業した私は、こんな活動をする教員 のトップランナーの1⼈だった。
その後、条件付きながら役員兼業も許されるようになった。利益相反しない範囲で、つまり本業をおろそかにしないなら、技術移転を⽬的とした⺠間企業とのコラボレーションを促進してよくなったのだ。国⽴⼤学の法⼈化はそれをもっと⼤きな動きにするための環境作りだったはずだ。
ところが「開かれた国⽴⼤学にする」という法⼈化の精神が、早くも⾵化しつつある。役員兼業に対しては、半年に及ぶ⻑い審査があり、厳しい条件を課して、厳しい判断をすることも少なくない。⼤学の経営陣が、役員兼業の申請に対して、「実験的または例外的に認める」などという判断をするようになったのだ。
30歳ぐらいで⺠間経験のある⽅を⼤学に招きたい
⼈事ではもっと深刻なことが発⽣している。
法⼈化した時点では、特任教授というポストを設けて、⺠間の⽅々に⾨⼾を開いて⼤学で教育や研究をしていただけるようにした。この効果は⼤きく、⺠間企業で活躍された⽅々が若い学⽣たちを教えることのメリットは計り知れない。私の周りには、そんな特任の先⽣⽅がたくさんいらして、学⽣だけでなく私たち教員の成⻑の糧にもなってきたと⾔ってもいい。
それなのに「特任の教員も博⼠の学位を持っていること」「週2⽇以上⼤学に出勤すること」などといった運⽤ルールを定める動きが進みつつある。⼤学で教育活動 に携わってほしい⺠間で活躍された⽅は、多忙を極めてきた⽅だから、博⼠号を持っていないケースがほとんどだ。⼤学のためには週1⽇しか割けない⽅も多い。⼤学に必要な⼈を排除するような運⽤を進めるべきではないだろう。
⼯学部でよくある⼈事は、国や企業の研究所に勤めている35〜40歳の⽅を⼤学に転職させるケースだ。成功例も多いが、失敗例も多い。このような⽅は⼤学で博⼠ 号を取得し、ずっと研究の世界にいて、学界のことしか分かっていないことが多い。⼀般社会という現場を知らないことが⼤きなマイナスになっている場合が⽬⽴つのだ。研究テーマの選び⽅を間違えたり、研究発表ですべてが終わったと考えてしまったりする。
だから、修⼠課程卒業で⺠間経験のある⽅を、30歳ぐらいの若い段階で⼤学へ転職させ、その後で、博⼠の学位を取らせ、次のステップに進む形の⼈材育成プラン の⽅が、成功確率が⾼いことが多い。40歳前後の固まった研究者より、⺠間ビジネスを知った30歳前後の⼈に新しい道を歩ませる⽅が成功確率は⾼そうなのだ。私⾃⾝も29歳の時、⺠間企業の設計部か ら⼤学に転職し、その後に博⼠号を取った。
学位がないので、⼤学へ来た当初の私は助⼿という⽴場だった。ところが助⼿という呼称が助教という呼称に変わったとたん、助教は博⼠号を持っていることが必要条件だということになりそうになってきた。今であれば、私のような転職事例は排除されてしまうのだ。
このように、いろいろな⼈事の⾯で、国⽴⼤学が⾨⼾を閉ざし、「開かれた国⽴⼤学」への流れを逆⾏させている。
法⼈化に伴って国⽴⼤学の経営⼒が低下しているということもできるだろう。内部の⼤学教員を守るような、参⼊障壁を設けるような経営は、後ろ向きの「縮む経営」である。⼤学に限らずそのような組織は萎縮し衰えるのが必然だろう。このままでは⽇本の国⽴⼤学の国際競争⼒はますます低下する恐れがある。
総⻑選挙のやり⽅は戦前と変化なし
1⽉に東⼤の総⻑選挙があった。5⼈の候補者の履歴は⽰されたが、抱負やマニフ ェストや公約のようなものは何も⽰されなかった。東⼤には教員が約4000⼈いる。お互いに知らない⼈であることが前提であるはずなのに、知らない⼈に投票するこ とを強いられる。東⼤教授が300⼈ぐらいの戦前の選挙法を4000⼈の世界で使っているからである。
こうして⼤学の経営者に選ばれた⽅は、⼤学以外の職歴のない⼈である場合がほとんどになる。
⼤学の中にこもろうとする防衛本能が感じられるような「縮む経営」は、このような経営者の選び⽅が作ってしまっているとも⾔える。リーダーをどう選ぶかは組織経営にとって極めて重要である。
⽇本の国⽴⼤学が縮んで、⼤学の教員が縮んで、教えられる学⽣が縮んでしまっては、⽇本の将来は真っ暗である。
⼩泉純⼀郎元⾸相の⾔うように、国⽴⼤学法⼈はすべて⺠営化するしか道がないのかもしれないと思うようになった今⽇この頃である。
WRITERレポート執筆者
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宮田 秀明
社外取締役
プロジェクトマネージャの先駆者、企業リーダー育成の第一人者であり、東京大学教授時代には様々な社会変革のプロジェクトを実行し、2011年に日本学士院賞、恩賜賞をそれぞれ受賞。その後同大学名誉教授に就任し、ビックデータ解析のスペシャリストとして学術的にもトップクラスを走る。東日本大震災を受け植村と共に気仙広域環境未来都市のプロジェクトマネージャに就任。インデックスコンサルティングの先導性に理解を示し、2017年から同社に参画。
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