REPORTレポート
プロジェクトマネージャーとは、建設プロジェクトを適切に管理し、予算やスケジュール、品質などあらゆる面で成功に導く存在です。ただ、真のプロジェクトマネージャーの役割はそれだけではないと考えています。
しばしばここで書いているように、目の前のプロジェクトを管理するだけでなく、プロジェクトの企画、すなわち事業構築の段階から関与し、事業の目的や発注者の夢を実現することが重要な役割です。そこまでして初めて、一流のプロジェクトマネージャーと胸を張ることができるのではないかと感じています。
私自身、そういった存在になるべく精進している最中ですが、自分の中で成功体験になっているプロジェクトがいくつかあります。
その一つが、2007年に東京・代々木に竣工した超高層ビル「M.YAMANO TOWER(通称、MY Tower)」です。このプロジェクトでは、事業構築からプロジェクトの進捗管理、その後の運用や運営に至るまで、クライアントのために汗をかくことができたと自負しています。
少し長くなりますが、「顧客の事業をともに創る」という意図をご理解いただくために、MY Tower建設の経緯をお話しようと思います。
大手ゼネコンもさじを投げた難事業
美容専門学校を展開する学校法人山野学苑は、もともと代々木周辺に11棟のビルを所有していました。ただ、ビルの老朽化が進んでおり、ほとんどの物件が十分な耐震性を備えていませんでした。また、少子化が加速することを考えれば、近い将来、学生が減っていくのは確実です。そのためには、学費以外の収入源も必要になります。そこで、山野正義氏(当時は理事長で現在は総長)は代々木周辺の建物を集約し、タワービルを建てようと考えました。
正義理事長からの要望は、延べ床面積1万坪の建物(うち5000坪が学校用途)を小田急線の線路に面した学苑の本部跡地に建てられないかというものでした。後述するように、本部跡地の敷地では延べ床面積1万坪の建物を建てることはできず、大手ゼネコンや大手設計事務所はみな頭を抱えていました。
旧知のスタン中川氏(山野愛子ジェーン現理事長の夫で、現在は山野学苑の総括)から相談を受けた私は、正義理事長にお目にかかることになりました。その時、私は課題解決の明確な構想は持っていましたが、デベロッパーでもない私に実行できるかどうかは分かりませんでした。今思い起こせば、正義理事長は私の情熱に賭けてくれたのだと思います。
プロジェクトマネージャーに選ばれた私は、大きく二つのことを実行しました。一つは学校の跡地に高さ100メートル、延べ床面積1万坪のタワービルを建てるために必要な近隣敷地の整理と最適な開発手法の検討、もう一つは1万坪の床を最大限に活用した学費を補完する収入源の確保についてです。
そして、フィーデベロッパー(フィーで大型開発を行うコンサルのこと)としての役割を推進するため、開発コンソシアムチームを組成しました。建設コストの最小化を図るため、ゼネコンは基本設計を決めた後、デザインビルド(設計施工)の提案型入札で選ぶこととしました。
近隣の用地買収まで手がけた日々
先ほども触れたように、タワービル建設についてはいくつか課題がありました。最も難しい課題は、本部跡地の敷地では延べ床面積で5000坪程度の建物しか建てられないということです。どんな事業を営むかはともかく、1万坪の床面積がなければ、学費以外の事業収入を生み出すスペースは確保できません。
そこで、正義理事長にある提案をしました。敷地に隣接する3件の住宅とアパートを買い取ることで、敷地面積を広げるという提案です。そうすれば、敷地の形状と接道率が整うため、総合設計制度を利用することが可能になり、容積率や高さ制限の大幅な緩和を受けることができます。
そして、近隣の地権者に土地をお譲りいただけないかとご相談に伺いました。もちろん、最初はけんもほろろの対応でしたが、繰り返し足を運び信頼を得て、代替の住宅を用意することで最終的に同意を得ることができました。引っ越し後も喜んでいただいたことが私にとっては最大の喜びです。
ただ、商店街の真中で、しかも鉄道に隣接する場所に超高層ビルを建てるのは決して容易ではありません。東京都との都市計画協議は難航しました。さらに、追い打ちをかけるように、代々木商店連合会から東京都知事あてに、開発反対の陳情書が提出されました。
それでも、日夜、地域の集会所で連合会の皆さんと真摯に向き合い、話し合いを繰り返すことで、陳情書を取り下げていただきました。最終的に、山野学苑とともに代々木商店街を活性化する共存共栄の道を切り開くことができたと考えています。今でも商店街に行くと懐かしい方々にお目にかかります。
MY Towerを通して学んだこと
もう一つの課題、すなわち学費を補完する収入源についても、いろいろと知恵を絞りました。タワービルの建設が可能になったことで、学校で必要なスペースの倍のスペースを確保できました。この5000坪のスペースをどう活用するかという話です。
オフィスやホテル、賃貸マンションなど様々な案がでましたが、事業収支や将来のリスク、オーナー負担、代々木という立地の将来像を総合的に考えて、賃貸マンションに決めました。その際に、事業者が賃料保証と管理運営を手がけるマスターリース契約を大手不動産会社と結びましたが、14年経過した今でも100%近い入居率を維持しています。
これ以外にも、地下に「山野ホール」を復活させ、学内外のイベントに活用したり、コンビニエンスストアを誘致するにあたり、専門学校で使う教材や道具を販売できるようにしたり、電子マネー「Suica(スイカ)」に学生証と入館証の機能を持たせたりと、様々な工夫で学苑の収入増と生徒の利便性向上を実現しました。
結果的に、老朽化した校舎の建て替えとタワービルの建設、そして少子高齢化に対応する収益源の多様化という課題をクリアすることができました。それも、当初の予算の範囲内です。
山野MY Towerプロジェクトを通して、私は改めてプロジェクトマネージャーはただ設計・施工のプロセスで予算やスケジュール、品質を管理するだけでなく、もっと上流部分の事業構築にまで踏み込まないと、真にプロジェクトを成功に導くことができないということを痛感しました。なかなか難しいことだとは思いますが、プロジェクトマネージャーを目指す方は「事業を創る」という視点と気概を大事にしてほしいと思います。
最後になりますが、このコラムを書き終わった10月16日の早朝に、山野正義氏がお亡くなりになりました。享年85歳、早すぎる死でした。ジェロントロジー(老年学)を提唱していた山野氏は、100年人生を実践されると信じていました。2020年の新年会では、カウボーイハットを身に着け、「不可能を可能にするのがスローガン。これからも開拓し新たなことにチャレンジし続ける」と語っておられました。
山野MY Towerプロジェクトの終わりに、山野正義理事長からかけられた言葉は生涯忘れません。「植村くんの仕事はポリスみたいなものだな。願えば叶うが俺のモットーだ。夢のMY Towerを実現してくれてありがとう。」
山野正義氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
WRITERレポート執筆者
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植村 公一
代表取締役社長
1994年に日本初の独立系プロジェクトマネジメント会社として当社設立以来、建設プロジェクトの発注者と受注者である建設会社、地域社会の「三方よし」を実現するため尽力。インフラPPPのプロジェクトマネージャーの第一人者として国内外で活躍を広げている。
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